重陽の節句を楽しむにはもう少し知っておいた方がよいことがありますよ!
①後の雛(のちのひな)
“後の雛”は、江戸時代に重陽の節句に伴い、行われていました。
その後、時代の移り変わりとともに、その風習はなくなっていましたが、現在、“大人の雛祭り”として注目を集め始めています。
後の雛とは、桃の節句で飾った雛人形を、半年後の重陽の節句でも飾り、健康や長寿、厄除けなどを願った風習です。
※「後」は2つ目のという意味
例:後の彼岸(秋の彼岸のこと)
この行事には、雛人形を1年間しまったままにすることなく、虫干しの意味も兼ねて、半年に1回は飾るといった昔の人の知恵も込められています。
雛人形は、女性の幸せの象徴であり、人の分身として災厄を引き受ける役目もあると言われます。
感謝と祈りを込めて大切に扱うことで、長持ちさせ、それが長生きにも通じると考えられています。
また、桃の節句との大きな違いは、桃の花でなく、菊の花が添えられるところです。
花の違いや、後の(子供の次の)というところから、大人の雛祭りと言われているようです。
現在では、重陽の節句に向けた雛人形も販売されており、大人の方が自分用に買われることもあるようです。
今年は、雛人形を飾り、菊料理や菊酒を味わうのはどうでしょうか。
②なぜ“菊”が長寿の象徴に?
さて、重陽の節句についてお話ししてきましたが、
なぜ「菊」が長寿の象徴になったのかについてお話ししていませんでしたよね。
これには“菊慈童(きくじどう)”のお話が関係しています。
中国、周の穆王(ぼくおう)の時代。
王に仕える慈童という名の少年がいました。
この少年のことを王は可愛がっていましたが、ある時、王の枕をまたいだ罪で、山奥に流されてしまいます。
この少年のことをかわいそうに思った王は、仏様から授かった教えのうち2句を少年に授けます。
少年は、その句を忘れないようにと菊の葉に書き留めました。
句を書いた菊の葉に露が溜まり、その露が川に落ち、川の水が天の霊薬になりました。
その水のおかげで、下流の住民は病気もせず、長寿になりました。
もちろん、慈童も、その川の水を飲んでいたので、少年(童の姿)のまま、仙人になりました。
700~800年ほどのち、時の王、魏の文帝の使者が、不老長寿の薬(川の水)があるという噂を聞き、確かめにきました。
その使者が、上流へ確かめに行くと、菊が咲いている中に、童の姿の慈童を見つけます。
慈童は、経緯を話し、穆王から授かった句を文帝に託し、文帝に仕えることとなりました。
また、盃に菊花を添え、寿命を延ばす術を授け、文帝は菊の宴を催し、千年・万年の寿を祝いました。
この宴が重陽の節句の始まりとされています。
※簡単に話をまとめたので、気になる方は“菊慈童”について詳しく調べてみてください。
このようなお話に基づき、始まったとされる“重陽の節句”。
時代とともに形を変えながらも、現代まで続いてきた行事ですので、私たちも今年こそはお祝いしてみませんか。
菊は、目で楽しむだけでなく、「味よし」「栄養もよし」と、優れたものですので、節句(着せ綿や後の雛)はしないという方も、一度食べてみる価値はありますよ。
恥ずかしながら、私も数年前まで“重陽の節句”について何も知りませんでした。
管理栄養士という職業柄、昔の行事や節句などに触れる機会も多く、その時に、自分の勉強不足を痛感しました。
普通に暮らしていると、以前の私のように、日本の古来の行事などについて知らない方も多いと思い、
今回の題材に選びました。
みなさんも来年は、“菊”のお祝いを楽しんでくださいね~♪